1996~2003年
1996年10月
この頃から精神状態が悪化していることが明らかに。
弁護団とも会話が通じず、接見もできなくなりはじめた。
これ以降、法廷で不規則発言を繰り返すようになる。(拘禁反応という当時の報道もいくつかある。)東京拘置所の記録によると、この頃から独語が目立ってきた。
1996年末頃
東京拘置所の記録によると、拘置所職員との会話がなり立たない状態になり、入浴を職員が介助するようになる。
1997年4月
罪状認否にて、
第三次世界大戦で日本は滅びてなくなっており自分はすでに釈放命令が出ているにもかかわらず、いまなお拘束されている不当性を、アメリカの原子力空母エンタープライズのような場所で、親しい仲間、ロシア人、合衆国政府支援者たち、米国防総省の指導者たちに訴えている
という主旨の発言を英語を交えて行う。
その後、法廷での発言そのものもなくなっていく。
2000年4月
東京拘置所の記録によると独語以外に声を発することはなく、言語による意思表示がなくなった。
2001年3月
東京拘置所の記録によると失禁が生じ、おむつを着用するようになり、排泄はおむつにするようになった。
2004年
2004年2月
1審で死刑判決。控訴。
2004年4月
控訴審弁護人、麻原に接見を求めるも接見室に連れてこられず。その後も30回以上接見を申し込むが、接見できず。
2004年7月
控訴審弁護人、麻原と初めて接見。「車いす、オムツ、対話不能」
2004年10月
弁護団、公判停止手続を申請。(12月、東京高裁は職権発動せず)
2004年12月
裁判所は「控訴趣意書の提出に関する手続教示」と称して、弁護人に連絡することなく、拘置所に赴き麻原と面会。麻原は車いすに乗せて連れてこられており、車いすは排泄物で床を汚さないようにと敷かれたブルーシートの上に載せられていた。
2005年
2005年6月
医療施設での治療が必要だとして、人身保護請求
日弁連に人権救済申立
精神科医のA医師が面会(7月に、「早急に精神医学的治療が加えられるべきである」「心神喪失の状態に在る者の死刑執行を禁じている刑事訴訟法479条1項との関係が問題になる」とする意見書を作成)
2005年8月
東京高裁は、「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」と断定した上で、刑事訴訟法の規定を無視した「鑑定」を西山医師に依頼。
2005年9月
精神科医のB医師が面会(12月に「詐病つまり精神病の演技として説明することは不可能である」、「弁護人との関係を維持する能力が欠落した状態にある」とする意見書(要旨)を作成。2006年3月に「拘禁反応に罹患している」「訴訟の意義及び自己の利害を弁別する能力、この弁別に従って自己を防御する能力、のいずれについても欠如していると考えられる」、西山鑑定に対する批判として「診断と説明との間に著しい不一致がある」とする意見書を作成)
2006年
2006年1月
精神科医の野田正彰医師が面会し、「心因性の昏迷状態」にあり「訴訟能力はない」、「半年内の治療で軽快ないし治療する可能性が高い」とする意見書を作成
2006年2月
精神科医の秋元波留夫医師が面会(月末に「昏迷状態であり、(中略)訴訟能力の欠如した状態である」、西山鑑定について「その結論の誤りに止まらず、それを導いた鑑定の手順についても司法精神医学の知見に反する不備なもの」と批判する意見書を作成)
東京高裁が依頼した西山医師が、訴訟能力ありとする「鑑定書」を提出。
精神科医の加賀乙彦医師が面会し、「はっきりとした拘禁反応の状態を示していて、言語により意志の疎通は不可能であり、訴訟能力はない」、西山鑑定について「精神医学用語の使用に誤りがあり、また拘禁反応の診断においても誤りをおかしていて、到底信頼できない」とする意見書を作成
2006年3月
精神科医の野田正彰医師が、西山鑑定は「意味不明な概念の結合でできあがって」いる、「鑑定になっていない」とする意見書を作成。
裁判所の一方的な控訴棄却。
弁護団は、麻原と意思疎通ができなかったため、2005年5月31日の提出期限に、控訴趣意書を提出できなかった。これに対して、裁判所は、麻原氏の訴訟能力について判断するまでに控訴趣意書が提出されれば、期限内に出されたものとして扱うと明言。「西山鑑定」の提出を受け、2006年3月21日、及び22日に、弁護団から裁判所に、28日に控訴趣意書を提出する旨連絡。しかし、控訴趣意書の提出前日の3月27日に、突然裁判所が麻原氏の控訴棄却を決定した。
2006年4月
精神科医の秋元波留夫医師が、「麻原の現在の精神状態は拘禁反応の昏迷状態に該当し、訴訟能力を失った状態」「拘禁反応の状態は少なくとも1997年から現在まで、10年近く続いている」などとする控訴棄却に対する意見書を作成
2006年7月
精神科医の岡崎伸郎医師が面会(7月に、訴訟能力が失われている可能性が大きいこと、「僅か3回の診察と自らの実見によらない拘置所職員の記録等のみによって、断定的な内容の鑑定書を作成した西山詮医師の鑑定人としての姿勢は、厳しく非難されても仕方のない」「結果としての鑑定内容に様々の不備がある」と西山鑑定を批判する意見書を作成)
2007年~
2007年11月
日弁連が東京拘置所長に勧告書(重篤な拘禁反応に罹患していると思われる被拘禁者に対して、施設外の精神科医による診察のうえ、抗不安薬の投与による薬物療法、若しくは医療刑務所またはこれに準ずる施設において治療を行う等の適切な医療措置を速やかに実施することを勧告)なお、「現段階において可能な必要最小限の精神科的治療すら実施していない」「基本的人権が侵害されている」と、東京拘置所を厳しく批判している。
2008年4月から現在まで
娘たちが160回以上面会を申し込んでいるが叶わず。
2008年春頃から現在まで
弁護人が400回以上面会を申し込んでいるが叶わず。