三女松本麗華氏から見た、父松本智津夫の現状

三女松本麗華氏から見た、父松本智津夫の現状

父は現在、東京拘置所に拘置されていますが、2008年6月以降、面会もできず、家族や弁護人は誰もその姿を確認できていません。
わたしたち家族や弁護人の先生が面会に行っても、拘置所は、本人が居房から出ようとしないと主張し、会わせてくれません。

父は1995年5月に逮捕されましたが、わたしたちが父と初めて面会できたのは、2004年8月のことでした。

2004年、東京高裁に係属後、控訴審の弁護人は4月から父に面会を30回以上申し込みましたが、7月に至るまで接見ができませんでした。

弁護人は裁判所に被告人と接見ができなくては、裁判を行うことができないと訴え、ようやく車いすに乗せられた父が面会室に運ばれてくるようになりました。

父はこの時点で対話不能、意思表示もできない状態になっており、父自身が面会を拒否していたということは考えられません。(資料1:麻原控訴審弁護人編 『獄中で見た麻原彰晃』 p56-61)

わたしたちは延べ70回以上、父と面会しましたが、一度も会話が成立したことはありません。
刑務官がびっくりするほどの大声を出したこともありますが、ピクリとも反応しませんでした。(資料2:麻原控訴審弁護人編 『獄中で見た麻原彰晃』 p45-50)

精神科医の加賀乙彦先生も、父の顔の前で両手を思い切り打ち鳴らし、面会室にいた刑務官や同席していた弁護人が体をピックを震わせ、部屋の外にいた刑務官が驚いて部屋の中をのぞくほど大きな音が鳴ったそうですが、父は何事もなかったように平然としていたそうです。(加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書 p148)

2004年から2006年に、弁護人の依頼で父と面接をした少なくとも5名の精神科医は、父は「昏迷」の状態にあり、治療が必要だと診断されました。
「昏迷」とは、意識障害のレベルを指し、「昏睡」の一歩手前、外的刺激に反応ができなくなる状態と言われています。

うち野田正彰先生と加賀乙彦先生は、半年程度の治療で快復すると意見を述べられていました。(資料3-1:野田正彰『「麻原死刑」でOKか?』 p104-109)(資料3-2:20180216『東京新聞』)

2005年、東京高裁は、「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」と断定した上で、刑事訴訟法の規定を無視して西山医師に「鑑定」を命じました。
西山氏は、父と僅かな時間の面会を3回ただけで、「心理検査は不可能と思われたので実施しなかった」と明確に述べており、父との意思疎通を一度も図ることができていません。

しかし、西山医師は2006年2月、父に訴訟能力ありとする「鑑定書」を提出しました。ものを握る能力があるから、訴訟能力があるというよく分からない理由でした。

2007年11月、日本弁護士連合会は、人権救済の申立に対し、父と面会した上で、東京拘置所に対し治療するよう「勧告書」を出しました。

「勧告書」では、「現段階において可能な必要最小限の精神科的治療すら実施していない」と、東京拘置所を厳しく批判しています。(資料4:日弁連勧告書_20071106.pdf)

にもかかわらず、東京拘置所は父に治療をしませんでした。父は、精神面のみならず、肌が湿疹や水疱に覆われるなど、外形的にも状態は悪化していきました。

東京拘置所は2007年7月以降、父と弁護人や家族との接見妨害をはじめ、2008年6月10日を最後に、誰も父とは面会ができなくなりました。

成年後見人選任を申し立てましたが、その手続のため、2013年12月、家庭裁判所の調査官と医師が東京拘置所に赴きましたが、面会を拒否されています。

もう10年、誰も父と会えておらず、父が本当に生きているのかすら、分からない状況にあります。

東京拘置所は、父は精神に障害が生じてはいないという見解をとっています。しかし、実際は、第1審当時から、おむつを着け、自分で排泄をコントロールできていません。(資料5:森達也 『A3』 p12-15)

おむつを着けていることは拘置所も認めています。また、刑務官が服を着替えさせ、入浴に際しては刑務官が介助をして、体を洗っています。

拘置所によると、父は自ら意思表示をすることがないそうです。具体的には、

  • 問いかけに対して言葉で答えることはなく、刑務官との会話もない。
  • 本人の意思表示や書面を必要とする手続きを取ることはない。
  • 刑務官が面会があると告知し、部屋から出て面会に行くように促すが、行かないという発言はない。
  • 宅下げや物品購入をすることはない。
  • 差し入れられた金品については、本人は受領指印をしないという意思表示をするわけではないが、押さない。

とのことです。

これが本当であれば、やはり精神科医の昏迷状態にあるとの診断が正しかったことを裏付けるのではないかと思います。

父の様子を見たことがある、元衛生夫の方は、2000~2003年頃の父の様子を次のように話しています。

入浴の際もその二人の刑務官が彼の体を洗ってやります。トイレ掃除に使うような、棒タワシを使って彼の体を擦るのです。
(中略)その入浴後、浴室の後始末をするのが我々の仕事です。その浴室の様子は本当にすごいですよ。タイルは糞だらけだし、
棒タワシにもついています。そのタワシについた汚物を洗い流し、床に落ちた糞は靴で踏んで細かくして、そのまま水で流してしまいます。
官の支給品である歯磨き粉を撒いて床をタワシで磨き、その後クレゾールで消毒する

(資料6:麻原控訴審弁護人編 『獄中で見た麻原彰晃』 p27-28)
また、布団や毛布もおむつからはみ出た糞尿まみれの状態で、それを使っていると、衛生夫の方は述べています。(資料7:麻原控訴審弁護人編 『獄中で見た麻原彰晃』 p16-17)

衛生夫の方の話も、父が昏迷状態にあるという診断を根拠づけていると思います。