松本智津夫の精神状態について意見書|野田正彰医師

松本智津夫の精神状態について意見書|野田正彰医師

※以下、ユビキタ・スタジオ『麻原死刑でOKか?』2006年刊 (野田正彰、大谷昭宏、宮台真治、宮崎学、森達也)より引用

私(野田正彰)は2005年12月22日、松井武弁護士より殺人事件被告人松本智津夫(麻原彰晃)の精神医学診断を求められ、06年1月6日午後3時より30分間、東京拘置所(小菅)において、松井武、松下明夫の控訴審弁護人同席のもと、厚いアクリルガラス板ごしに拘置所職員に伴われた本人を面接した。

あわせて慶徳栄喜検事の意見書(平成16年11月29日)とそれに添えられた佐々木英俊・東京拘置所所長からの回答案(同日)、同検事よりの意見書(同年12月2日)、中島直医師による「松本智津夫の精神状態に関する意見書」(平成17年7月27日)、この意見書に反論した、圓山慶二検事の意見書(同年8月12日)、および医師佐藤忠彦と古茶大樹による「松本智津夫の精神状態および訴訟能力に関する意見書」(同年9月5日)を読んだ。その上で、意見を述べる。

Ⅰ、30分の面接

これまでの面接において、面会者が被告に盛んに話しかけ、被告の沈黙に終わっているので、面接の方針として、語りかけを極力少なくし、間を多くとり、被告の微妙な反応を引き出そうと考えた。

面会室への入室の様子を観察したかったが、すでに車椅子に座ってガラス越しに待っていた。灰色の囚人服を着ており、湯上りなのか、頭髪は清潔、顔面や大きく開いた胸元の皮膚は血色がよい。浮腫もなく、栄養状態は正常に見える。左膝を机板にあて、両手を組み、顔をゆっくりと動かしている。両目は閉じている。

面接の前半は「松本さん」と呼びかけると、顔を動かす動作がやや多くなる。右肩を一瞬動かせる。額をかく、右へ首を傾ける、鼻下をさわる、側頭をさわる。終わると再び、手を組む。にたっとひとり笑いを浮かべ、口をもぐもぐ動かせ、時に「ウー、ウー」、「ウーッ、ウー」と声を出し、偽痴呆的な表情をとる。ひとり言やひとり笑いは、面接者への応答ではない。自閉のうちに、ひとりで対話しているようだが、統合失調症の様な幻聴に対する緊張した応答の印象は受けない。内面の夢幻様体験がひとり言となってこぼれ出ているといったところか。

黙って見つめていると、次第に顔を動かす動作も、ひとり言もなくなる。被告が他の呼びかけよりも反応しやすいと思われる二人の娘の名「**」「**」、および弟子の名「井上」を刺激に使うが、何の反応もしない。しかし、仕切り板をコツコツと二度たたいたとき、左眉を情報にピクッと動かした。それ以外の反応はなく、25分過ぎたころは眠っているかの様に動きを止めたままとなった。

反応がない病者でも、長時間沈黙を保ち、とりわけ去っていこうとする時、かすかに手を握り返したりすることがある。だが先に出るように求められ、被告の退室を観察することは許されなかった。また言葉で刺激する以上に、横に座ることでで病者の反応を引き出しやすいが、この面接状態では存在感による刺激も不可能であった。

統括。統合失調症の緊張性昏迷の様な、堅い、意志表出の欠如ではない。外からの刺激にまったく反応していないわけではない。しかし内面の夢幻様体験に没頭している様であり、外からの言葉による働きかけについては反応しない。思考力は低下しているであろう。意志表出の完全に欠如した重度の昏迷とは言えないが、昏迷状態にあると考えられる。

Ⅱ、考察

本状態が八年間続いていると言われるが、それが事実なのか、変動の如何については確かめようがない。ただし、05年6月27日、中島医師が面接したときの記述と、私の面接時と、ほぼ同じ状態であるので、少なくとも半年間以上続いている。

鑑別診断としては、統合失調症による緊張性昏迷ではない。加えて病前性格は分裂病質ではなく、中年になるまで統合失調症を発祥していないといわれているので、統合失調症を疑うものはない。

器質性精神障害については、CT、MRIで異常所見はなく、梅毒血清反応は陰性と報告されているので、直接見ていないが、一応否定できる。薬物による精神障害についても、逮捕後しばらく正常な精神状態にあったので、経過から考えても該当しない。症状をみると、心因性の昏迷状態である。これまでの検察官の意見書、中島直精神科医の意見書、および佐藤精神科医の意見書は、本状態についてそれが拘禁反応か詐病かをめぐって、分かれている。

東京拘置所所長・佐々木英俊が慶徳検事に答えた回答案(平成16年11月29日)では、器質性精神病と症状精神病を否定しているだけで、現病状について判断を避けている。回答案の最後に、「本人は、時々、聞き取れないような独り言はあるが、ほとんど寡黙で職員との意思疎通は図られていない。ただし、排泄をオムツにすること、着替え、寝具の整理、歩行、運動・入浴というの職員がする介助は欠かせない状況であるが、日常生活において異常な言動の発現は認められない」と書いている。独り言、意思疎通なし、身体の障害がないのにかかわらず介助の必要の3所見は、十分に異常な言動である。なぜ、最後の一行を付け加えるか、理解に苦しむ。いずれにせよ、「意思疎通は図られていない」ことを認めている。

中島医師の意見書は、拘禁反応による昏迷状態にあり、疎通がとれず、訴訟能力を欠く、と結論している。私は拘置所における日常生活を直接観察しておらず、介助の程度がどのようなものか不明で、わずか30分のガラス越しの接見で昏迷状態を重症か中程度か判断できない。ただ拘置所の報告を見るかぎり、次第に悪化してきていると言える。弁護人と面接時、ズボンを下ろして自慰行為を行っており、児戯的な意志発動は見られるが、統合失調症やうつ病による昏迷とは異なる、解離性昏迷(ヒステリー性昏迷)ではこのような演技的で偽痴呆的な行為は少なくない。

次に佐藤忠彦医師らの意見書。佐藤らの意見書は、統合失調症の緊張性昏迷に見られるような意志表出の完全な欠如のみを昏迷と考えているようだ。横になったまま食事もとらず、他者の働きかけに対し一切反応しない状態を昏迷と考え、その様な状態でないとして、中島直医師意見書を批判している。しかし心因性の目的反応ー困難で耐え難い状況からの逃避のため、意識下で行われるーの場合は、この程度の昏迷と偽痴呆の混ざりあった状態は見られる。また、拘置所内で食事を自力で摂取できる、入浴も指示にしたがって行うなどをもって、意志表出があり昏迷でないことのひとつの論拠としている。だが現在もそうなのか、他動的に行っていることを上記のように記述しているのか、分からない。さらに佐藤医師による問診内容の記録は、問いに対し、「ハイ、ハイ」「ウン、ウン」と答えた形になっているが、半年後の私の面接では外からの刺激と無関係の言動に見えた。佐藤らの意見書でも「精神科診察所見の小括」において、「質問に即した意味ある応答とは考えにくい。われわれ以外の何かに反応しているようにも見えるが、それ以上の解釈はできない」と述べている。

結局、佐藤らも詐病であると論拠を挙げているのではない。中島直意見書へのコメント(6頁)では、「被告人が状況に応じて使い分けている可能性が否定できない」と述べ、「状況に応じて使い分けている」と断定できずにいる。佐藤らはK・シュナイダーの「反応性拘禁状態は詐病性の反応」という意見や、中島修の「拘禁下での偽痴呆状態の多くは詐病」という意見を紹介(7頁)し、彼らもその説に近いような論述を繰り返しながら、「治療等に関する参考意見」(9頁)では、「とくに詐病を確実に除外しない限りは、治療の必要性を論じるべきではない」と論じている。ほとんどの反応性拘禁状態や偽痴呆は詐病であるならば、どうして詐病を確実に除外する必要があるのか。

いずれにせよ、詐病か拘禁反応か、問題になっている。圓山検事の意見書でも、「被告人の現在の状態はかなりの程度に詐病で、わずかな程度に拘禁反応」と書かざるを得なくなっている。

ここで詐病と拘禁反応の関係を考察しておこう。詐病を明確な企図のもとに行う偽りの病気、拘禁反応を意識して行われているのではない心因性の反応と二分した場合、実際の事例はその間をスペクトル状に散在している。企図や意識して行われる行為と、無意識ではないが意識下に行われる行為とを、厳密に分けるのはしばしば難しい。本人が偽って障害を演じていたとしても、その心理機序に意識化の言動が入り込むことはある。演じているうちに、それが現実の体験として受けとられるようになることがある。「あの時は精神病のふりをしていただけだ」と告白する患者が、確かに彼が訴えた症状は演じられたものであったが、精神科医の目から見て他の面で精神障害が進行している場合もある。

とりわけ被告の性格は、極貧の家庭、視力障害、盲学校などの環境条件から形成され、「強い権力欲をもち、暴力を伴う詐術に巧みで、嘘を語っている内にそれを事実と信じる傾向があり、投影による被害妄想を抱きやすい、情性欠如者」と考えられる。

(被告とオウム真理教の研究は、日本キリスト教協議会と富坂キリスト教センターが主宰した、1999年から2002年にわたる三年間の「オウム真理教研究会」の報告書、『あなたはどんな修行をしたのですか?-オウムからの問い、オウムへの問い』、新教出版社、2004年2月、に所収の私(野田正彰)の論文、「教祖、信者、オウムを求めた社会」に詳しく述べている。)

被告自身も自分の演技的人格を次のように語っている。

「私の性格というものは作られたものである。作られたものとはどういうことかというと、それは演技によって作られたものである。本質的には私の性格は存在しない。よって厳しいフォームを形成知ることもできれば、優しいフォームを形成することもできる。」(早坂武禮、『オウムはなぜ暴走したか』、ぶんか社、1999年)

この様な欺瞞傾向の強い人が退行し、偽痴呆、昏迷の状態を呈したとき、どこまでが自覚的な行為で、どこからが下層意志機制によるものか、どの程度詐病であり、どの程度拘禁反応か、判断するのは難しい。被告の状態像を話題にしつつ、実はそれから離れ、拘禁反応と詐病について、いくつかの論を挙げて延々と議論することは可能だが、それが意味があるとも思えない。

なお、オウム教団を創り宗教的修行を行ってきた人なので、数年にわたって昏迷を装うことも可能ではないか、といった解釈もある。しかしそれはオウム事件への恐怖を投影し、被告を超人視するものであり、他方にある未熟で欺瞞者としての性格を無視することになる。

Ⅲ、訴訟能力と治療

犯行時に精神障害はなく有責であった者が拘留中に拘禁反応を呈しても、訴訟能力はあるとすべきであろう。被告についても訴訟無能力者と固定的に考えるべきではない。

しかし、被告と意思疎通がまったく出来ないことは、私も含め、検察官も弁護人も、三人の精神科医も、東京拘置所も認めている。訴訟能力とは、訴訟の意義を理解し、自己を防衛することのできる能力と解するならば、公判当初は訴訟能力に問題はなかったものの、現在、意志能力があるとは考えられず、一時的であろうが訴訟能力はないとみなすべきである。このまま出廷させ、目を閉じ、独語し、空笑もどきのひとり笑いをする被告に控訴審を受けさせるのは難しいであろう。

それならば拘置所から逃亡の恐れのない精神病院へ移し、環境を変えて早急に精神医学的治療を行うことが望ましい。この間に、大脳の器質的検査を行うことも可能であろう。半年内の治療で軽快ないし治癒する可能性が高いので、その後に審理を再開する方がが、詐病か昏迷かの議論を続けるより実用的であろう。

2006年1月9日
関西学院大学学長室・教授
精神科医
野田正彰(署名・印)

(付)
なお、私(野田正彰)の略歴を簡単に記す。1944年3月生まれ、1969年3月に北海道大学医学部を卒業し、精神医学、主として精神病理学、比較文化精神医学を専攻し、奈良県立医科大学精神神経科講師、長浜赤十字病院精神神経科部長(1977年)を経て、神戸市外語大学教授(1987年)、京都造形芸術大学教授(1991年)となり、ウィーン大学客員教授(1993年)などを務め、京都女子大学(2000年)を経て、2004年度より関西学院大学教授(学長室)を勤めている。

精神障害者の犯罪については、『クライシス・コール-精神病者の事件は突発するか』(毎日新聞社、1982年10月)の著書がある。この著書は『精神病による犯罪の実証的研究』と題して、1982年3月17日、第6回法務省・日弁連刑法問題意見交換会の討論資料となったものを主体にしている。この本は『犯罪と精神医療』として「岩波現代文庫」(2002年1月)に入って再版され、精神病者の犯罪を考えるための基本的文献となっている。