※以下、ユビキタ・スタジオ『麻原死刑でOKか?』2006年刊 (野田正彰、大谷昭宏、宮台真治、宮崎学、森達也)より引用
二十一日、オウム真理教元代表麻原彰晃被告(50)=本名・松本智津夫=の弁護団が公開した、東京高裁(須田賢裁判長)が依頼した精神科西山詮医師作成の鑑定書要旨は次の通り。
【序】鑑定人は記録を精読するとともに、二〇〇五年九月二十六日、十月五日、十二月十二日の三回、東京拘置所で問診、構想観察、理学的検査を行った。
審理検査は不可能と見てしなかった。
【家族暦】(略)
【本人暦】(略)
【現病歴】
一、公判記録から
一九九五年五月に逮捕され、九六年三月に東京拘置所に移監されるまで、特に精神の異常に気付かれていない。裁判では、消極的、拒否的だが、同年五月の破防法弁明手続きでは、積極的だった。
第九回公判(同年九月)で弟子の井上嘉浩被告の証人尋問が行われ、同年十月の第十三回公判で被告は「井上嘉浩の反対尋問は中止していただきたい」と述べた。
第三十四回公判(九七年四月)の被告人の意見陳述で、地下鉄サリン事件について「検察庁ではこれを無罪と認定しています」などと空想作話や空想虚言を持ち出した。裁判全体では、最初は激しく不規則発言し、徐々にぶつぶつとした不規則発言にかわり、ついに沈黙する経過となった。
二、拘置所の記録から
診療拒否が九六年六月から始まった。九七年二月には「めまいはありますか」などの質問に「私は保釈になるべき」と繰り返し診療不可能に。同年七月ごろから独り言が目立った。九八年十二月には「白血病の末期」と訴えた。二〇〇一年三月の検査では、神経学的には正常範囲、採血、尿検査なども正常だった。〇四年の頭部MRI検査、〇五年七月の頭部CTとも異常はなかった。
三、弁護人接見記録から(略)
四、現病歴まとめ
無罪を主張していた被告が、井上被告の主尋問から危機を感知し、中止を求めた反対尋問が開始され動揺、拘置所に戻って精神運動興奮を呈した。この興奮は精神病的要素はなく、激怒した人の正常な反応で、裁判上の利害から発しており合理的。空想作話、空想虚言で自己を防衛しようとしているが、無罪願望から出たもので、妄想的確信ではない。
精神病的要素を欠いたまま、不安動揺期から空想作話期を経て静穏(無言)期に至る経過をとった偽痴呆性の拘禁反応である。ものを言わないが、ものを言う能力がないという根拠はどこにもない。
【現在症】
一、身体的現在症(略)
二、精神的現在症
(第一回面接)東京拘置所の十畳くらいの部屋で、左右に長いテーブルをはさんで行った。問診の答えは「ウウン、ウウン」「アア」など。検査が終わってから親指と人差し指の間に鉛筆を置いたところ、三本の指でくるくるとプロペラ様に振って見せた。書字を促したが動かさない。鉛筆を取り戻そうとすると、強く握って話さない。引っ張るといよいよ強く握りしめる。「今日はもうやめよう」と言い話した。
(第二回面接)意味ある言葉はなかった。話し掛けに「ウン、ウン、エ、オウ、ウーン、イイ」と発語したり、まったく無言のこともある。
(第三回面接・略)
現在症を要約すると、身体面では所見はない。精神面では、表情は苦痛、苦悩はなく、穏やか、知らぬ顔、のんき、時にまじめ、さまざまな笑いが多かった。三回目の面接で意味ある会話はほとんどできなかったが、上肢を屈曲させるという鑑定人の身振りに対し「痛い」、一審弁護人との意見の対立が「ちっと」あった、あまり弁護を「しなくて」という趣旨に聞こえる場面があった。
【説明と考察】
拘禁反応には比較的幅広い定義を採用し、裁判過程に対する反応も含めた。これらも拘禁反応であることに変わりはない。被告の拘禁反応の特徴的病像をひと言で言うのは難しい。幻覚妄想型などではなく、偽痴呆型(無言などの欠落症状が主体)に属する。拘禁反応を経過で三期に分ける。第一は九六年十月から九七年三月ごろまでの不安動揺期、第二は同月ごろから九八年一月ごろまでの空想作話期、第三は九七年七月ごろに始まって今日に至る長い静穏期。これらは屋根瓦のように一部が重複している。
拘禁反応は井上被告の反対尋問で裁判上の危機に当面して現れた。拘置所に帰ってからは「おれの弟子は?」と泣き叫びチーズを壁に投げつけた。尋問で生じる利害を熟慮する余地を持ち、道理的な人格反応の占める割合が大きい。これらを急性錯乱と呼ぶことには慎重でなければならない。
空想作話期は、短いが重要。明らかな空想虚言は九七年三月三一日の弁護人接見時に現れた。「麻原彰晃は必ず暗殺されて九七年四月の公判廷で意見陳述ができなくなってしまいます」などと言い、その後も散発的に見られる。
静穏期にも一過性の危言や奇行がないわけではない。「私ははめられた。そろそろ人生に幕を閉じたい。青酸カリをください」「心臓が止まっています。止まっていても生きているんです」などだ。しかし、これらは例外的で独語のほかはめったにものを言うことがなくなった。ただし元弟子の公判で証人に立つと活発な言語活動ができた。
日常生活動作の自立性が緩慢ながら着実に失われてきた。現在、自立して遂行可能なのは食事などだけだ。職員と会話が成立することはほとんどないが、「ちょっと離して」は明らかに特定の職員に向けられており、相互に意志が通じている。被告の状態を昏迷とすることはできない。
初期は危機に当面しての不安動揺期で、次いで裁判から逃避したいという願望思考の高まりから無罪や釈放の主張が繰り返され、弁護団への協力も裁判に無力で、むしろ不利な裁判を進行させるだけだと悟った。これらすべてが無駄と分かれば沈黙しかなく、長い時間をかけて身に付けた行動形態が今の姿。黙秘で戦うのが九六年十一月以来の決心だ。被告は精神病的要素に乏しく、虚偽性(合理的思慮の介在)及び逃避願望の強い拘禁反応といえる。
【訴訟能力】
訴訟能力は「一定の訴訟行為をなすに当たり、行為の意義を理解し、自己の権利を守る能力」(五四年七月三一日最高裁決定)が長い間の基準だったが、「被告としての重要な利害を弁別し、相当な防御をすることができる能力」(九五年二月二八日最高裁決定)という新基準が現れた。
防御の前提として「被告が訴訟の状況を理解し、必要なコミュニケーションを行う能力」が重要。ものを言わないので面接をした少なからぬ精神科医は昏迷と判断したが、ものを言う能力がないこととは別問題だ。
人間はものを言う能力があっても、ものを言うとは限らない。被告はものを握る能力があっても握らないことがあった。意志発動性はどちらにしても共通している。昏迷ではなく自由な意志によって選択された無言と考えなければならない。
被告は、一審で訴訟過程の学習もしているので訴訟状況を理解する能力に不足はない。高齢者でもなく、脳疾患でもない者が十年の拘禁で痴呆に陥る法則は知られていないから、理解力は保たれていると考えられる。
きわめて危険な裁判(死刑確定の可能性がある)から逃避したいという動機、過去の苦い経験から弁護人に不満、不信、不安があるために協力したくない、コミュニケーションを取りたくないという動機が大多数に了解可能だ。このような拘禁神経症の者に、訴訟無能力を認める、心神喪失概念を承服できないほど肥大化させることになる。
【鑑定主文】
一、被告は現在、拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある。
二、被告はものを言わないが、ものを言う能力が失われたことを示唆する証拠はない。実際にコミュニケーションをする能力があることは、さまざまな方法で証明されている。発病直前及び発病初期からあった強力な無罪願望が継続していると考えられ、被告は訴訟を進めることを望んでいないが、訴訟をする能力を失っていない。
〔「東京新聞〕2月21日付けより転載〕