平成18年7月7日 岡崎伸郎医師による 麻原彰晃こと松本智津夫の精神状態に関する意見書 から全文掲載(※一部、お名前伏字)
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平成18年7月7日
麻原彰晃こと松本智津夫の精神状態に関する意見書
最高裁判所御中
仙台市精神保健福祉総合センター所長
社団法人日本精神神経学会理事
精神科医(精神保健指定医)
岡崎伸郎
1.緒言
私、岡崎伸郎(おかざきのぶお)は、精神科医(精神保健指定医)であり、東北大学医学部を卒業後、東北大学附属病院精神科病棟医長などを経て、平成12年から仙台市精神保健福祉総合センター所長を務めている。専門は精神医学、特に精神病理学、精神保健学であり、現在、社団法人日本精神神経学会理事、日本精神病理・精神療法学会評議員、日本精神科救急学会評議員、全国精神医療審査会連絡協議会理事、全国精神保健福祉センター長会常任理事、社団法人宮城県精神保健福祉協会常任理事等の公職を兼務している他、東北大学大学院教育学系研究科非常勤講師、仙台白百合女子大学非常勤講師等として教壇に立っている。また刑事司法および民事司法における鑑定書、意見書作成の経験を比較的多く有する。最近では、平成17年4月に仙台市で起きたアーケード街トラック暴走事件の起訴前精密鑑定を担当した。
私は平成18年6月9日、殺人等被告事件被告人麻原彰晃こと松本智津夫(以下、被告人)の控訴審弁護人松下明夫弁護士より、被告人の現在の精神状態について、特に訴訟能力の観点から意見を書面で提出するよう依頼され、了承した。
これを受けて私は、同弁護士より貸与された関係書類を精読するとともに、平成18年6月29日午後2時から2時30分まで、東京拘置所において同弁護士とともに被告人に接見し、その結果を踏まえて本意見書を作成した。
2.これまでに提出された被告人の精神状態に関する専門家の見解について
被告人は現在、最高裁判所に特別抗告中であり、それに対する判断がいつ何時下されるか判らない状況に置かれている。従つて通常の鑑定書や意見書作成のように、ある程度の期限を示されて取り組むという時間的余裕は私には与えられていない。そこで家族歴、本人歴、生活史、犯行状況、公判経過などを私なりに整理し直して記載することはこの際省略し、目下最大の問題である被告人の現在の精神状態、特に訴訟能力の観点から見た精神状態に的を絞つて述べることとする。
私の見解を述べるに先立ち、これまでに提出された被告人の精神状態に関する専門家(精神科医)の見解の要旨を整理しておく。
(1)****医師による意見書(平成16年10月26日付)、補充意見書(1)(平成16年11月5日付)、補充意見書(2)(平成16年12月10日付)、補充意見書(3)(平成16年12月15日付)、及び西山詮医師による鑑定書に対する反論(平成18年3月6日付)
被告人は現在、①脳器質性疾患(Pick病、梅毒、薬物に起因するものを含む)、②拘禁反応、③詐病、④宗教的修行としての沈黙(黙秘を含む)のいずれかである可能性があり、その鑑別のためには精密検査が必要であり、再鑑定が必須である。これを怠れば被告人の生死に関わる。(実際に接見した日:平成16年11月2日、30分間)
(2)****医師による意見書(平成17年7月27日付)、及び補充意見書(平成18年3月2日付)
被告人は現在、拘禁反応による昏迷状態を呈していると考えられ、そのため疎通がとれないことから、訴訟能力を欠いていると考えられる。よつて早急に適切な場所で精神医学的治療を行う必要がある。正式な鑑定をすることに意味はあるが、本意見書との差異は小さいと考える。(実際に接見した日:平成17年6月27日、30分間)
(3)****医師による意見書(平成18年3月10日付)
被告人は現在、拘禁反応の慢性状態を呈しており、無言症と退行が顕著である。このため訴訟能力は欠如している。被告人の拘禁反応を治療し、訴訟能力を回復させるために、医療施設への移送が望ましい。(実際に接見した日:平成17年9月30日、 30分間)
(4)野田正彰医師による意見書(平成18年1月9日付)、及び西山詮医師による鑑定書に対する意見書(平成18年3月6日付)
被告人は現在、その程度の判断まではできないが昏迷状態にあると考えられる。その種類は統合失調症やうつ病によるものよりは解離性昏迷(ヒステリー性昏迷)の特徴を備えている。器質性精神障害の可能性は少ない。一時的にせよ訴訟能力がないとみなすべきである。環境を変えて精神医学的治療を行うことが望ましい。(実際に接見した日:平成18年1月6日、30分間)
(5)秋元波留夫医師による意見書(平成18年2月28日付)
被告人は現在、拘禁精神病に罹患しており、拒否と無言を主要症状とする昏迷状態である。このため意思疎通が著しく困難であり、訴訟能力は欠如している。(実際に接見した日:平成18年2月1日、30分間)
(6)小木貞孝医師(作家加賀乙彦)による意見書
被告人は現在、拘禁反応による昏迷状態を呈しており、意思の疎通は不可能であり訴訟能力はない。しかし治療により回復の可能性がある。(実際に接見した日:平成18年12月24日、30分間)
(7)西山詮医師による鑑定書(東京高等裁判所裁判長からの委嘱による。平成18年2月20日付)
被告人は現在、拘禁反応の状態にあるが拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある。ものを言わないがものを言う能力が失われたことを示唆する証拠はなく、実際にコミュニケーションする能力があることはさまざまな方法で証明されている。従つて訴訟能力は失われていない。(実際に問診、行動観察、理学的検査を行つた日:平成17年9月26日、同年10月5日、及び同年12月12日)
(8)佐藤忠彦医師、古茶大樹医師による意見書(東京高等検察庁検察官からの委嘱による。平成17年9月5日付)
被告人には現在、外見上何らかの精神障害の存在を疑わせる異常が確かにあるが、これは意志の関与が濃厚であるから、司法精神医学上の真に病的な精神障害を示す所見とは言えず、詐病の疑いが否定できない。昏迷状態は否定できる。自由な意思をもつて行動することが可能であり、心神喪失状態とは言えず、訴訟無能力とは認められない。(実際に診察した日:平成17年8月30日、30分間)
これらを概括すると、裁判所の選任した西山詮医師は、現在の被告人が拘禁反応ではあるが、訴訟能力は失われてはいないとし、検察庁の委嘱した佐藤忠彦・古茶大樹両医師は、広義の拘禁反応である可能性は否定しないが詐病の性質が濃厚であつて昏迷状態は否定でき、訴訟能力は失われていないとしている。これに対して弁護人が別々に依頼した6人の医師の意見は、前二者と鋭く対立している。すなわち****医師は、脳器質性疾患、拘禁反応、詐病、宗教的修行としての沈黙の可能性があり、鑑別のために精密鑑定が必要としている。****医師、****医師、野田正彰医師、秋元波留夫医師、小木貞孝医師は、用語の違いが多少あるものの拘禁反応による昏迷状態に相当する病状であり、訴訟能力がないとしている。このうち****医師、****医師、野田正彰医師は、精神医学的治療を行うべきであると主張し、小木貞孝医師も、治療によって回復の可能性があるとしている。
なお、****医師、****医師、****医師、野田正彰医師、秋元波留夫医師、小木貞孝医師は、それぞれ西山詮医師の鑑定書に対する具体的反論ないし批判という形での論述を展開している。
私としては、ひとりの精神科医としてあくまでも独立、公平な立場で意見を述べようとするのであるが、その際に上記のような見解の対立について、その争点が奈辺にあるのかを充分考慮しなければならないと考える。
3.接見の記録
私は、平成18年6月29日午後2時から2時30分までの30分間、東京拘置所において被告人に接見した。松下明夫弁護士が同席したが、その役割は、最初に私を被告人に紹介することに留まつている。
ここであらかじめ、接見に臨む私の態度について断つておく。これまでに被告人に接見した医師らの態度は、どちらかというと鑑定者あるいは診断者としての姿勢を崩さないものであって、被告人への呼びかけも「松本さん」「麻原さん」という中立的なものが多かつた。そこで私としては、このスタンスを踏襲するのでは新たな所見を得られる可能性が少ないと考え、これまでと少しでも異なる態度を示すことによつて異なる刺激を被告人に与え、それによって多少なりとも新たな所見を得られやすい状況を作ることに務めた。具体的には、私が被告人をひとかどの宗教者として認め、尊敬の念を示し、行く末を案じ、その上で様々の疑間に答えてくれるよう求める、というものである。したがって被告人への呼びかけも、「尊師」という被告人がかつてそう呼ばれることに馴染んでいた敬称を敢えて使用した。
言うまでもないことながら上記のスタンスは、精神医学的所見を得るための便宜的なものであって、私自身が被告人の主宰していたオウム真理教の教義を信仰したりその活動を支持したりしているのではなく、ましてや被告人のなした犯罪行為を許容しているのでもない。
以下に、接見記録を掲載する。なお、文中の左・右は、被告人からみた左・右のことである。
岡崎、松下両人が接見室に入室すると、被告人はすでに車椅子に座った状態で正面を向いている。脇に刑務官が控える。こざっばりした半袖シャツを着用。頭髪は短く刈って整え、髭は剃られており、アクリル板越しのため体臭等はわからないが、概ね清潔を保たれている印象である。下半身はジャージを着用しているが、腰まわりが膨らんでおり、オムツを装着していると思われる。閉眼して穏やかな表情であり、両上肢にも不自然な姿勢や筋緊張は見られない。
松下 麻原さん、こんにちは。今日は精神科医の岡崎先生に来てもらいました。
被告人 …・… (無言で表情を変えず)
岡崎 尊師、おいたわしいことです……尊師!(語気鋭く)
被告人 な…… (一瞬、表情を変えながら右上を見やるように首をかしげるが、また正面を向く)ン、 ン、 ン…
岡崎 尊師、恐れ入りますがもう少し聞き取りやすい言葉でお話しいただけませんか。
被告人 ……
岡崎 尊師、私は医師ではありますが、これまでの尊師のお話に深く共感するところもあります。少しでもお助けできることがあればと参上いたしたのですが。
被告人 ン、ン… (口をモグモグさせる)
岡崎 何かご指示はありますか?尊師。
被告人 …… (右を向いている)
岡崎 何かおっしゃりたいことございましょうか?
被告人 …… (手でアゴをかく仕草)
岡崎 尊師が何もおしゃべりにならなくなってから久しいので、信者たちもどうしてよいのか迷つております。
被告人 …… (下を向いたまま)
岡崎 尊師のことですから、何か深いお考えがあるのでは?…。尊師、如何でしょうか?お心の中のほんの少しでもお漏らしいただければ、お役に立てることもあると思われます。
被告人 …… (車格子に座り直す仕草。正面〈岡崎の方〉を向くが、口をモグモグさせるのみ。両手は下腹のあたりに組んでいる)
岡崎 尊師、何でもよろしゅうございますよ。
被告人 …… (左手でアゴをかき、その指先を嗅ぐような仕草。続いて左手で下唇をつまむような仕草)
岡崎 毎日の生活のことでお困りのこと、ご家族のことで心配なこと、教団の今後のことなど、ご心痛かと思いますが、如何でしょうか?
被告人 …… (じっとして動かないまま)
岡崎 尊師、お聞こえになりますね?
被告人 …… (無言)
岡崎 尊師がこのまましゃべらないと裁判が確定します。
被告人 …… (全く耳に入らない様子。両手を挙上して背伸びする。右手で左手をかく仕草)
岡崎 尊師が考えておられること、世の中をどうしたらよいか、弟子たちはわからないようです。
被告人 …… (無反応)
岡崎 尊師、おわかりになりますよね?
被告人 …… (右目も開くような表情で右上を見やる様子、しばし見つめ、続いて右下を向く)
岡崎 尊師がお考えをお示しにならないと、尊師を信ずる信者がたくさんおりますから…その者たちのためにも、何らかのご指示をいただきたいのです。
被告人 …… (無言のまま右を向く)
岡崎 尊師!!(かなり大きな声で)
被告人 …… (右を向いたまま)
岡崎 このまま刑が確定してしまってもよろしいのですか。お考えを述べないとそれで……
被告人 …… (無言。両手を下腹に組んでじっと動かず)
岡崎 何か深いお考えがあるのでは?
被告人 …… (両手を組んだまま、口を少しモグモグさせる)
岡崎 このままではお考えを披涯する機会はもう残されていないのです。お助けすることができなくなります。それでよろしいですか?
被告人 …… (無言で正面を向いたまま、左手で右手をつかむ)
岡崎 このまま、謎のままにしておくのだとお考えではありませんか。世の中の人々にとって最大の謎でありたいと思つているのではありませんか。
被告人 …… (じっとしたまま、口を少しモグモグさせる)
岡崎 尊師の何年もの沈黙が、世間ではいろんな憶測を呼んでいます。あれだけ崇拝の対象となつていた人が、痴呆症になったと椰楡する人もありますが、私はそうでないと思っています。
被告人 …… (頭をゴシゴシかく。続いて下を向き、そのまま動かず、居眠りでもしている様子。口を少し動かす)
岡崎 言葉を発することができないのでしたら、何かサインをしてほしいのですが。
被告人 …… (じっと下を向いたまま、居眠りの様子だが、本当に入眠しているのかどうかは不明。口を少し動かす)
岡崎 尊師、最近のお体の具合は如何ですか?
被告人 …… (無言で下を向いたまま)
岡崎 拘置所が長いですが、不自由なことはありませんか?
被告人 …… (下を向いて居眠りの様子、続いて上を向くが、やはり居眠りの様子)
岡崎 尊師、私の顔がわかりますね?
被告人 …… (上を向いたまま居眠りの様子)
岡崎 尊師、私の声が聞こえますね?
被告人 …… (下を向き、無言でじつとしたまま)
岡崎 私のことを信用できないのでしょうか、どうでしょうか?
被告人 …… (じっとしたまま動かず)
岡崎 今日は松下弁護士と一緒ですが、弁護士にも本当はおつしゃりたいことがあるのではありませんか?
被告人 …… (じっとして居眠りの様子)
岡崎 裁判が確定しますよ。すぐにでも死刑が執行されますよ。日本では最近、刑の執行まで時間がかかつていない例があります。
被告人 …… (じっとして居眠りの様子)
岡崎 有効なことをするには今しかありません。
被告人 …… (じっとして居眠りの様子)
岡崎 尊師!
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)。
岡崎 これまで何人かの医師が、尊師とお話しするために来ましたが、私は少し違う考えを持っています。
私は何か深い計画があるのではと推測していますが?
被告人 …… (じっと居眠りの様子)
岡崎 世間の人が言うように、痴呆症になつてしまったということでしようか?
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)
岡崎 そんな風説が流布されると、かつて尊師が築こうとした世界の価値が失われてしまいますが、それでもよいのですか?
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)
岡崎 尊師、死刑が執行されますよ!
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)
岡崎 (パン!!と両手を叩き、大きな音を出す)
被告人 …… (少しも表情を変えず、微動だにしない)
岡崎 尊師、お休みですか?この世に言い残すべきことはありませんか?麻原尊師…、お眠りではないですよね?私の声が聞こえていますね?
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)
岡崎 時間も迫つてきました。私はもうお会いすることができません。尊師に面会する人もなくなります。最後に何かございませんか?
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)。
岡崎 尊師、最後に何かお話しいただけませんか?一言でもよろしいです。本当にありませんか?
被告人 …… (変わらず居眠りの様子)
ここで刑務官が刻限となったことを告げ、接見を終わる。岡崎、松下両人が先に退室させられたため、被告人が退室する際の様子は観察できず。
以上の接見の所見をまとめる。車椅子から移動しないため、下肢の運動機能については不明であるが、僅かに見られた両上肢の動きは自然で、麻痺や拘縮を疑わせる所見はない。手でアゴをかくといった合目的的に見える行動を時にするが、睡眠時や意識障害者でもこのような動作をすることがあるので、意識清明の証左ではない。接見の最初に語気鋭く「尊師」と呼びかけた時に、首をかしげて「な……ン、ン…」と発語しかけたかに見えたが、それ以後は意味のある発語はおろか、つぶやきや呻きなどの発声すらなかった。また口をモグモグさせることが時に見られたものの、私の問いかけとは無関係に行われており、これを含めて何らかの意思表示を伺わせる身振り手振りや表情の変化はなかった。私が突然柏手を打つて大音響を発した際にも、被告人は表情ひとつ変えず無反応であった。接見中を通じて、意思疎通は全く不能であった。私が間断なく語りかけていたにもかかわらず、途中で居眠りしているかのような様子を呈したが、本当に入眠したのか否かも不明であった。
4.被告人の現在の精神状態についての見解
上記の接見から得られた所見は、①被告人が現在、(居眠りしていたようにも見えた間のことを除いて考えても)拘禁反応による昏迷状態を呈している可能性が大きいこと、② このため少なくとも現在は訴訟能力が失われている可能性が大きいと判断せざるを得ないこと、③ したがって専門的精査と専門的治療の場に一旦委ねることが必要であること、を示している。それはこれまで意見書を提出した精神科医の多数が主張するところと一致する見解である。
ただしここで強調しておかなければならないのは、上記の見解①②は、あくまでもこうした可能性が大きいということであつて、たった1回30分間で、しかも被告人との身体的接触を許されないアクリル板越しの接見からは、断定的なことは到底言えないということである。だから①②は、「可能性が大きい」という控えめな表現に留まらざるを得ない。しかしこうした可能性が大きくて、しかも断定はできないからこそ、専門的精査(精密鑑定)と専門的治療(しかるべき施設に移送しての)を施す必要があり、その手順を省いたのでは公正な司法手続きが完結しないであろう、というのは確かなことである。したがって見解③の部分は断言である。
精神科臨床において、無言、無動、無反応といつた状態で意思疎通ができない者が連れて来られた場合、入院させた上で、身体状態や栄養摂取などに留意しつつ、昼夜を問わず様々の時間帯に、様々の場面、様々の条件で、どのような行動上の変化が現れるかをつぶさに観察し、さらに脳波検査、画像検査、神経学的検査などを適切な条件で行い、それらの結果を総合して、故意の無反応(詐病を含む)なのか、器質性疾患や薬物の影響による意識障害なのか、昏迷状態なのか、また昏迷状態とすれば原因疾患が統合失調症か、うつ病か、ヒステリー性のもの(拘禁反応もこれに含む)か、等を注意深く鑑別診断していくのである。しかもその鑑別診断とは、単なる観察に留まらず、様々な治療を試みながらそれへの反応性を勘案した結果としての診断であることが多い。そしてそのプロセスに数週間程度を要するのが普通のことである。逆に
言えば、こうしたことが集中的に行わるのであれば、長くて1~ 2ヶ月もかければ何らかの見当がつくことが多いのである。
具体的には、例えば昏迷状態の疑われる患者に、向精神薬の一種ジアゼパムの静脈内投与下で、抑制を軽減しながらの間診を試みると、一時的にせよ昏迷の程度が軽減して疎通が回復することがある。これは精神科臨床の現場でしばしば使われる、診断と治療を兼ねた方法である。またこれ以上は列挙しないが、他にも試みる価値のある手段がいくつもある。
本意見書は、このような精神科臨床の常識からすれば当然なすべきプロセスを経て作成したのではなく、たった1回30分間、しかもアクリル板越しの接見という極めて限定された条件によるしかなかった。****、****、****、野田正彰、秋元波留夫、小木貞孝の各医師にしても同様の制限下の接見である。しかし一方で、西山詮医師にしても佐藤忠彦・古茶大樹両医師にしても、似たり寄つたりの条件でしか被告人を診察していないのである。いつたい、僅か3回の診察と自らの実見によらない拘置所職員の記録等のみによつて、(意見書ならともかく)断定的な内容の鑑定書を作成した西山詮医師の鑑定人としての姿勢は、厳しく非難されても仕方のないところである。またそのような鑑定方法であれば、結果としての鑑定内容に様々の不備があることも、ある意味で必然的なことと思われる。
西山鑑定書の内容の不備については、他の意見書作成医師らがそれぞれに詳しく指摘しているところであり、その多くが私から見ても首肯できるものである。特に私としては、被告人の精神状態を表現するのに、本来無言状態のもとではそのように診断することができないはずの「偽痴呆性」の無言状態、という矛盾した説明を行つた精神医学的誤謬こそが、決定的な欠陥であるように思われる。偽痴呆(仮性痴呆、ガンザー症候群も近縁概念)の最も特徴的な症状は「的外れ応答」ないし「当意即答」(Vorbeireden)であって、これは言語的応答が保たれている前提で診断できるのであるから、無言状態の者に偽痴呆性との評価を下すのは原理的に誤りであるとの批判を小木貞孝医師が展開しているが、まさに正鵠を射ている。この問題は決して枝葉末節の瑕疵に類するものではない。西山鑑定書の核心部分に関わり鑑定主文にまで現れた
誤謬であつて、極めて根本的な問題である。西山詮医師が精神鑑定に豊富な経験を持ち、その領域の専門書を上梓するほどの医師であることは承知しているが、それを思うにつけ、何故このような基本的誤りを犯したのか、私は理解に苦しむ。そこで想起されるのが数年前の私自身の体験である。
私は平成15年に、一審、二審で死刑判決を受けて上告中に拘置所内で精神異常を呈した者の訴訟能力についての精密鑑定を求める意見書作成に携わつたことがある。当時の被告人の病状は、拘置所内で発症した統合失調症に基づく可能性もある顕著な幻覚妄想状態であり、自らの置かれた法的立場の意味についても正しく理解できない状態であった。この意見書は認められ、そしてたまたま本件と同じ西山詮医師による鑑定が行われたのであった。鑑定結果は、拘禁反応であるが、精神病的と見える幻覚、妄想、減裂思考などの症状は、いずれも願望充足性の性質をもつものとして了解できる範囲に留まっているので、訴訟能力は保たれていると見なすべきである、というものであった(これに基づき死刑判決が確定した)。私はそれを読んだ時、精神病状態であつても、その幻覚や妄想の種類や内容が訴訟能力の評価を左右するというのが妥当
な考え方なのだろうかと、些か奇異な印象を抱いたことがある。そして今回、本件の西山鑑定書を読んだ時、当時抱いた奇異な印象と符合する感覚を覚えたのは、自分でも驚くほどである。
西山詮医師は、拘禁反応は訴訟能力に影響しないという原則を堅持しようとしているようであり、そのこと自体は理解できなくはない。しかし問題は、拘禁反応であつても例外的に訴訟能力が欠如するような場合があり得ることを認めながらも、その症状や状態とはいかなるものかについて、精神医学的一貫性を備えた理論ないし基準を持ちあわせていないのではないかということである。もし、願望充足性の起源や性質をもつ精神症状ならいかに著しいものであっても訴訟能力に関係しないというのであれば、それは極めて薄弱な理論と言わぎるを得ない。
また、本件被告人の無言状態を昏迷状態と捉えるのが自然なのに、昏迷と言つてしまえば精神病状態の一種であるから、拘禁「精神病」の水準にないとした自らの論述と矛盾する。そのために「偽痴呆性の無言状態」などと、精神医学的概念の混乱を来たしてまで無理なこじつけをしたのであろうか。そもそも西山詮医師は、願望充足性の性質を持つた精神病状態(幻覚妄想状態や昏迷状態)を呈する拘禁反応を拘禁精神病から除外して考えるのであろうか。西山鑑定の核心部分に関する疑義は、斯くの如く尽きない。
次に、たった1回30分間の診察によって、「昏迷状態は直ちに否定することができた」(意見書24頁)というような断定的な判断を下した佐藤忠彦・古茶大樹医師の専門家としての姿勢も、甚だ軽率との謗りを免れず、内容の本質部分に関わる疑義も一二に留まらない。そもそもこうした鑑定書や意見書というものは、自らが実見した所見を中心に据え、これを他の資料によって補強したり検証していくというのが常道である。にもかかわらず佐藤・古茶意見書では、肝心の診察記録があたかも付け足しのような位置づけになっているのは、奇異な印象すら与える。これが医療の現場であれば、他者の手による資料やデータばかりを重視して自ら診察を「実施した結果を参考とした」(意見書1頁)などという姿勢の医師を、患者は信用することはないだろう。
佐藤・古茶意見書は、昏迷状態を直ちに否定できるとしている。そして昏迷に関する信頼できる文献として『新版精神医学事典』の次のような記載を引用している。すなわち「…精神分裂病(統合失調症:筆者注)以外の場合には、昏迷のうちにも繰り返し刺激を与えれば多少とも愛想笑いや反抗など自然な反応が見られるなどわずかでも周囲との交流が保たれているのが普通である」という箇所である。また神経学的検査を行つた時の所見として、握力を見るために検者の指を握るよう指示したところ全く無反応だつたことについて、「昏迷では指示に従つて手を握ろうとする僅かな動きが見られることと、対照的である。」と述べている(意見書21頁)。つまり自然な反応が全くないことをもつて昏迷状態を否定する指標としているのである。ところがこのように述べておきながら一方では、「右眼瞼を他動的に開眼させようとすると強い抵抗がある。」「脱がせたサンダルを履かせようとすると、こちらのさしだしたサンダルに自然に足を滑り込ませる。この診察中に確認できた唯一の協力的な姿勢である。」(いずれも意見書22頁)という所見を根拠にして、「協力と拒否の意思表示があつたことから、…昏迷状態は直ちに否定することができた。」(意見書24頁)と断定している。
これは論理の自己矛盾以外の何ものでもない。いったい佐藤・古茶両医師は、僅かな意思表示があるという徴候を、昏迷状態を肯定する根拠としているのか否定する根拠としているのか、全く不可解である。
また佐藤・古茶意見書では、「問いかけに対して、言葉による明確な返答はなかった。その際、返答しようと努力している様子も全く見られなかった。」(意見書24頁)ということを、昏迷状態を否定する根拠としている。しかし昏迷状態では返答しようとする努力が見られると決めつけられるわけではないことは自明なので、この部分も明らかな精神医学的誤謬である。そもそも昏迷状態とは要素心理学的に言えば、意志発動性(何らかの目的行動をするために努力することができる能力)の強い障害を特徴とする症状である。
要するに、佐藤・古茶意見書の一貫性のない論述は、昏迷状態についての精神医学的理解の不足に起因すると見なさざるを得ない。
さらに致命的なのは、「返答するという『努力』が欠如していること(答えられないのではなく黙秘である)から、…昏迷状態は直ちに否定することができた。」(意見書24頁)と述べた箇所である。そもそも黙秘とは、返答する『努力』が欠如しているのではなく、返答しない『努力』をしている状態の謂いではないか。このような基本的な誤謬を犯す佐藤・古茶意見書に信を置くことは到底できない。
佐藤・古茶両医師も述べるように詐病と昏迷状態とが鑑別上の問題になるというのであれば、このような粗雑な論述ではなく、もつと目の詰んだ、慎重な議論をするのでなければ真実を見失う。だからこそ私は、治療的アプローチを含めた本格的鑑定の必要性を強調するのである。
5.日本の刑事裁判史上の汚点とならないために
被告人の精神状態が精査や治療を要するものであると主張し、また訴訟能力が失われているとの見解を出した6人の精神科医は、世代もキャリアもまちまちではあるが、みな今日の我が国の精神医学界で名の通つた人々である。しかも司法精神医学の分野での仕事が際立っている医師も数名含まれている。こうした専門家たちが、1回30分間の接見という限定された方法を通じてではあつても、このように共通する部分の多い見解に至らぎるを得なかったということは、極めて重要である。そして私もまた、これらの見解に基本的に与するものである(****医師の指摘した脳器質性疾患の可能性については、その後に追加実施された検査結果によつて、その可能性が相対的に低くはなつたにしても)。
このように多数の専門家の慎重を求める意見があるにも関わらず、それらを無視して少数の、しかも不備の多い意見のみを取り入れて判決の確定を急ぐことは、公正な司法手続きに則つているとは思えず、到底納得しがたいことである。被告人の訴訟能力の判断を当然必要な程度の慎重さをもつて行うことが、この裁判のプロセスを著しく滞らせるという懸念はまずない。先に述べたように、被告人を然るべき治療の場に一旦移して必要な検査と治療を行うことには、それほど長い期間を要しないと考えられる。その結果被告人の状態が、あるいは信念による沈黙、あるいは詐病と判明すれば、粛々と司法手続きを再開すればよかろう。また治療に反応して多少なりとも意思疎通が回復すれば、それはそれで妥当な措置だつたことが判明するのであり、その上で従前よりも円滑に司法手続きを進めることが可能になるのである。
一方、こうした当然行うべきプロセスを省略して拙速に裁判を確定させた場合、その判断は「結論先にありきの幕引き」として将来にわたって厳しい批判に晒されることが必定である。被告人の関わつた事件の重大さからいつても、我が国の刑事裁判史上の汚点になる危惧があると言つても過言ではない。なすべきことや、なすのが可能なことを残して最終的な結論を出せば、必ずや後世に禍根を残すであろう。
このような私の物言いは、本意見書の役割を超え、一精神科医としての分限を超えているとの批判もあるかも知れない。しかし私としてはそれを承知で、今や社会的に踏み込んだ発言をもせぎるを得ない段階に来ていると思われたため、このような主張に及んだのである。
最高裁判所が高度の良識を発揮されれば、本意見書の主張を必ずや理解頂けるものと確信する。
以上